Vol.19 日記更新、再び
2010年8月21日 お仕事約一週間、日記が書けなかった。
書くことは忘れていなかった。
でもそれどころじゃなかった。
まず、月曜の調査レポート提出を前にして、先週の土曜日曜は昼夜ぶっとおしで、資料のまとめ・翻訳作業。
結局、クライアントの都合もあり、火曜日の昼に確認することになった。
それでも、終わらない作業。
月曜は徹夜で作業した。
寝たのはおよそ2時間程度。
朝6時ごろには変に目が冴えて、仕事に集中した。
翌火曜日、12時の締め切りに遅れること45分。
クライアントに書類を提出した。
クライアントが書類のデータをみて、フォームの変更や日本語の誤りがあることがわかった。
また、クライアントから追加で地図の追加作成も頼まれた。
飯も食わずに、ずっと作業していて、体も限界だった。
近所のパン屋で飯を買ってくるが、仕事が気になってまったく食う気がしない。
社員が帰った6時ごろ、まだ作業を続ける私に上司が、
「お前一人でするな、人に割り振れ!あれだけの作業をお前一人でするのは無理だ」
「割り振りと具体的な作業ができるか確認したら今日はもう帰れ」
と言った。
それに従って、仕事を割り振って、作業ができるかどうか確認した。
割り振りはうまくいったが、作業ができるかどうかがわからなかった。
なぜならエクセルのバージョンまたはその他の何かの要因によって地図上の図形が変化したからだ。
「なぜだ…」
と悩んでいるうちに、上司から電話がかかってきた。
上司に現状を報告すると、「地図の件はまた明日聞くから今日はもう帰れ!」と言われた。
実際、この上司の電話で寝ている自分が起こされる形になった。
もう限界だった。
8時、家に変える。
何も考えられず、風呂入って寝る。
水曜日。
地図の問題もいくつかのPCを試して、なんとかなりそうな感じだった。
上司からの指示でエンジニアの人にも手伝ってもらうことになった。
たった一人だけだったが、それでも手伝ってくれるだけ助かった。
エンジニアの彼には地図の作成を頼み、私自身は別の地図を作成する。
昨日(水曜日)の時点で割り振った翻訳の訂正、フォーマットの修正に2人の社員が取り組んでいた。
彼女たちは4時にはその作業が終わると言った。
あきらかに時間的に無理のある作業で、彼女たちは不服そうであった。
僕自身の地図の作製は5時ぎりぎりまでかかり、翻訳したものをチェックするのも含めると、8時までかかった。
なんとかできた資料を持って、上司とタクシーに乗り、クライアントの待つ店へ。
車内で、上司は「おれは今回の調査はいい経験になったと思う。お前も今回のプロジェクトでいろいろ思うことはあるだろうが、何かしら学ぶこともあったはずだ。」
「明日は休んでいい。もし来るなら、今回の調査の反省も兼ねて、作業工程をもう一度見直してみろ。」
と、言われた。
その時は、その後起こる苦痛や悔しさもなにも予期することはなく、これで終わったと思っていた。
店に着き、急いでクライアントのもとに駆けていった。
明らかにクライアントは酔っていたし、怒っていた。
理由は明白、提出時間が遅れたうえに、連絡もろくにできなかった。
提出したデータを見て、また怒られた。
私の誤解もあり、チェックする際に印刷画面がめちゃくちゃだったのが裏目に出た。
「クライアントは訂正する必要はないのに、なぜ訂正した?」
と、言われた。
私からすれば明らかにおかしかったもの訂正したまでなのに…
なぜかとこういうことになったか、それは翻訳とフォーマットの作業した一人はぜんぜん頼んだことが出来ていなかったからだ。
あきらかにコミュニケーション不足だったし、翻訳担当の社員なのに、翻訳自体が日本語としておかしいものばかりであった。
正直、今後もうこの社員に翻訳を頼みたくなくなった。
が、今はそれどころではない。
クライアントは全く私のことを信用しなくなり、というより当社のことを上司のことを全く信用しなくなっていた。
その後、店を変えて、カラオケ、飲み屋に行った。
カラオケではクライアントは特に感情を表に出すことはなかったが、飲み屋行ってどうしても提出した書類の話になった。
そのときはめちゃくちゃ私は今回の調査について責められた。
何も言えなかった。
ただ悔しい気持ちしか出てこなかった。
何か言っても、その場ですぐに否定され、その言葉は力なく消えた。
会社自体否定され、もうお前の会社には仕事を頼まないと言われた。
上司も何も言えなかった。
もうどうしようもなかった。
横にいた上司が、
「明日の朝5時までにちゃんとしたものを提出します。」
と言った。
店を後にしてタクシーに乗った。
タクシーの車内で、
「なぜおまえはさっき何も言わなかったのだ?」と言われた。
私は、
「結果が結果だし、なにもできていないのは事実だから何も言えません。」
と言った。
上司は、
「出来ないのは仕方ない。俺にも確認ミスがあった。でもお前はあそこでもう一度やらせてくださいというべきだ。」
と言った。
私は悔しくて、泣いていた。
事務所に戻り、上司と二人、徹夜で修正作業をした。
なんとか朝5時にクライアントの家に持っていき、これですべてがようやく終わったと思った。
クライアントの家から帰るタクシーの中では、もう半分寝ていた。
家に帰ってほんとに何もせずに寝た。というよりそれ以上何も覚えていない。
電話が鳴り、起こされた。
気づくと11時だった。
クライアントからだった。
また書類に問題が発生した。
いろいろ言われたが、要は「この書類のエビデンスはあるのか?」「内容に虚偽はないのだな?」「あった場合は賠償責任はどうする?」というものだった。
とにかくもうすぐにでも会社に行って、エビデンスを集めるために、調査に当たった学生を呼び出し、書類を一枚一枚、各項目のチェックをした。
人手が不足し、他の学生にも手伝ってもらった。
それでも11時ごろまでかかり、学生に礼を言うが作業はここから、私一人で訂正個所の入力をした。
訂正個所は予想以上に多く、結局翌日の締め切り8時ぎりぎりになって完了した。
データをCD‐Rに焼き、急いでクライアントの下へ。
相変わらず、怒っているクライアントは訂正箇所を見せて、
「訂正個所が多いので、私が入力し直します。」
と言った。
クライアントは「1時間で終わらせろ。」と言った。
それから必死で訂正した。
クライアントの顧客に出す締め切りは10時。
それに間に合わすためにも私は本当に必死であった。
9時半、なんとか訂正作業が終わり、クライアントにデータを提出した。
クライアントは「もうやることないから、帰っていいよ。」
と言った。
クライアントの家を出て、ようやく本当にすべてがたった今終わった。
心配した社員が電話をかけてきたが、もう何も考えることができず、言葉も何も出てこなかった。
事務所に戻り、散らかした机を片付け、昼には家に帰った。
本当に何もかも終わったという感情と疲れたということしか考えられなかった。
気づけば、調査を開始して1か月が経っていた。
とにかく寝た。もう何もしたくなかった。
夕方に社内の飲み会があるので、バイクで出かけた。
飲み会はいつもの飲み会。
エンジニアとしてもプロジェクトが終わり、その打ち上げでもあった。
私は調査に手伝ってくれた学生と社員に
「ほんとうに今回はありがとう。あなたたちが手伝ってくれなかったら終わらなかった」と言った。
事実、本当に終わらなかったと思う。ほんとに感謝である。
また、長い間、会計関係の仕事をしていなかったので、会計担当の社員にもそのことを謝った。
今回の調査は得るものはあったが、失うものもあったと思う。
その後、いつも通り、いっぱい飲んでなんとか平常心を保てる状態を維持し、バイクで帰った。
日本じゃ絶対できないことですね!
帰りにロッテマートで買い物をした。
冷蔵庫はずいぶん前から空っぽだ。
とりあえず適当に飲み物や食べ物を買った。
翌土曜日、つまり今日はゆっくりした土曜日だった。
2週間ぶりの休日である。
今日の出来事を簡潔に言うと、
昨日の調査データ提出完了の報告を帰国した上司にし、
社員に教えてもらったレストランで昼食。
その後ぶらぶらして、カフェで読書。
6時からはサルして、帰宅。
というような感じです。
細かく書けばもっと書けますが、もういいでしょう?
つーか長々とすいません。
1週間も日記を書かないと、ダメですね、記憶も途切れ途切れだし、せっかくすべてが終わったのに、また嫌なこと思い出すようで…。
とにかくすべてが終わりましたし、上司も帰国しているので、月曜からは少し気分的に楽になると思います。
9月のJ-ASIAが終わったら、ちょっと旅行に出るのもアリかとふと思いました。
行くなら、
カンボジア→ラオス→ハノイ→ホーチミンのコース
か、
カンボジア→ラオス→雲南省→ホーチミンのコース
かと思います。
ちょっと楽しみなって来ました♪♪
ではまた。
書くことは忘れていなかった。
でもそれどころじゃなかった。
まず、月曜の調査レポート提出を前にして、先週の土曜日曜は昼夜ぶっとおしで、資料のまとめ・翻訳作業。
結局、クライアントの都合もあり、火曜日の昼に確認することになった。
それでも、終わらない作業。
月曜は徹夜で作業した。
寝たのはおよそ2時間程度。
朝6時ごろには変に目が冴えて、仕事に集中した。
翌火曜日、12時の締め切りに遅れること45分。
クライアントに書類を提出した。
クライアントが書類のデータをみて、フォームの変更や日本語の誤りがあることがわかった。
また、クライアントから追加で地図の追加作成も頼まれた。
飯も食わずに、ずっと作業していて、体も限界だった。
近所のパン屋で飯を買ってくるが、仕事が気になってまったく食う気がしない。
社員が帰った6時ごろ、まだ作業を続ける私に上司が、
「お前一人でするな、人に割り振れ!あれだけの作業をお前一人でするのは無理だ」
「割り振りと具体的な作業ができるか確認したら今日はもう帰れ」
と言った。
それに従って、仕事を割り振って、作業ができるかどうか確認した。
割り振りはうまくいったが、作業ができるかどうかがわからなかった。
なぜならエクセルのバージョンまたはその他の何かの要因によって地図上の図形が変化したからだ。
「なぜだ…」
と悩んでいるうちに、上司から電話がかかってきた。
上司に現状を報告すると、「地図の件はまた明日聞くから今日はもう帰れ!」と言われた。
実際、この上司の電話で寝ている自分が起こされる形になった。
もう限界だった。
8時、家に変える。
何も考えられず、風呂入って寝る。
水曜日。
地図の問題もいくつかのPCを試して、なんとかなりそうな感じだった。
上司からの指示でエンジニアの人にも手伝ってもらうことになった。
たった一人だけだったが、それでも手伝ってくれるだけ助かった。
エンジニアの彼には地図の作成を頼み、私自身は別の地図を作成する。
昨日(水曜日)の時点で割り振った翻訳の訂正、フォーマットの修正に2人の社員が取り組んでいた。
彼女たちは4時にはその作業が終わると言った。
あきらかに時間的に無理のある作業で、彼女たちは不服そうであった。
僕自身の地図の作製は5時ぎりぎりまでかかり、翻訳したものをチェックするのも含めると、8時までかかった。
なんとかできた資料を持って、上司とタクシーに乗り、クライアントの待つ店へ。
車内で、上司は「おれは今回の調査はいい経験になったと思う。お前も今回のプロジェクトでいろいろ思うことはあるだろうが、何かしら学ぶこともあったはずだ。」
「明日は休んでいい。もし来るなら、今回の調査の反省も兼ねて、作業工程をもう一度見直してみろ。」
と、言われた。
その時は、その後起こる苦痛や悔しさもなにも予期することはなく、これで終わったと思っていた。
店に着き、急いでクライアントのもとに駆けていった。
明らかにクライアントは酔っていたし、怒っていた。
理由は明白、提出時間が遅れたうえに、連絡もろくにできなかった。
提出したデータを見て、また怒られた。
私の誤解もあり、チェックする際に印刷画面がめちゃくちゃだったのが裏目に出た。
「クライアントは訂正する必要はないのに、なぜ訂正した?」
と、言われた。
私からすれば明らかにおかしかったもの訂正したまでなのに…
なぜかとこういうことになったか、それは翻訳とフォーマットの作業した一人はぜんぜん頼んだことが出来ていなかったからだ。
あきらかにコミュニケーション不足だったし、翻訳担当の社員なのに、翻訳自体が日本語としておかしいものばかりであった。
正直、今後もうこの社員に翻訳を頼みたくなくなった。
が、今はそれどころではない。
クライアントは全く私のことを信用しなくなり、というより当社のことを上司のことを全く信用しなくなっていた。
その後、店を変えて、カラオケ、飲み屋に行った。
カラオケではクライアントは特に感情を表に出すことはなかったが、飲み屋行ってどうしても提出した書類の話になった。
そのときはめちゃくちゃ私は今回の調査について責められた。
何も言えなかった。
ただ悔しい気持ちしか出てこなかった。
何か言っても、その場ですぐに否定され、その言葉は力なく消えた。
会社自体否定され、もうお前の会社には仕事を頼まないと言われた。
上司も何も言えなかった。
もうどうしようもなかった。
横にいた上司が、
「明日の朝5時までにちゃんとしたものを提出します。」
と言った。
店を後にしてタクシーに乗った。
タクシーの車内で、
「なぜおまえはさっき何も言わなかったのだ?」と言われた。
私は、
「結果が結果だし、なにもできていないのは事実だから何も言えません。」
と言った。
上司は、
「出来ないのは仕方ない。俺にも確認ミスがあった。でもお前はあそこでもう一度やらせてくださいというべきだ。」
と言った。
私は悔しくて、泣いていた。
事務所に戻り、上司と二人、徹夜で修正作業をした。
なんとか朝5時にクライアントの家に持っていき、これですべてがようやく終わったと思った。
クライアントの家から帰るタクシーの中では、もう半分寝ていた。
家に帰ってほんとに何もせずに寝た。というよりそれ以上何も覚えていない。
電話が鳴り、起こされた。
気づくと11時だった。
クライアントからだった。
また書類に問題が発生した。
いろいろ言われたが、要は「この書類のエビデンスはあるのか?」「内容に虚偽はないのだな?」「あった場合は賠償責任はどうする?」というものだった。
とにかくもうすぐにでも会社に行って、エビデンスを集めるために、調査に当たった学生を呼び出し、書類を一枚一枚、各項目のチェックをした。
人手が不足し、他の学生にも手伝ってもらった。
それでも11時ごろまでかかり、学生に礼を言うが作業はここから、私一人で訂正個所の入力をした。
訂正個所は予想以上に多く、結局翌日の締め切り8時ぎりぎりになって完了した。
データをCD‐Rに焼き、急いでクライアントの下へ。
相変わらず、怒っているクライアントは訂正箇所を見せて、
「訂正個所が多いので、私が入力し直します。」
と言った。
クライアントは「1時間で終わらせろ。」と言った。
それから必死で訂正した。
クライアントの顧客に出す締め切りは10時。
それに間に合わすためにも私は本当に必死であった。
9時半、なんとか訂正作業が終わり、クライアントにデータを提出した。
クライアントは「もうやることないから、帰っていいよ。」
と言った。
クライアントの家を出て、ようやく本当にすべてがたった今終わった。
心配した社員が電話をかけてきたが、もう何も考えることができず、言葉も何も出てこなかった。
事務所に戻り、散らかした机を片付け、昼には家に帰った。
本当に何もかも終わったという感情と疲れたということしか考えられなかった。
気づけば、調査を開始して1か月が経っていた。
とにかく寝た。もう何もしたくなかった。
夕方に社内の飲み会があるので、バイクで出かけた。
飲み会はいつもの飲み会。
エンジニアとしてもプロジェクトが終わり、その打ち上げでもあった。
私は調査に手伝ってくれた学生と社員に
「ほんとうに今回はありがとう。あなたたちが手伝ってくれなかったら終わらなかった」と言った。
事実、本当に終わらなかったと思う。ほんとに感謝である。
また、長い間、会計関係の仕事をしていなかったので、会計担当の社員にもそのことを謝った。
今回の調査は得るものはあったが、失うものもあったと思う。
その後、いつも通り、いっぱい飲んでなんとか平常心を保てる状態を維持し、バイクで帰った。
日本じゃ絶対できないことですね!
帰りにロッテマートで買い物をした。
冷蔵庫はずいぶん前から空っぽだ。
とりあえず適当に飲み物や食べ物を買った。
翌土曜日、つまり今日はゆっくりした土曜日だった。
2週間ぶりの休日である。
今日の出来事を簡潔に言うと、
昨日の調査データ提出完了の報告を帰国した上司にし、
社員に教えてもらったレストランで昼食。
その後ぶらぶらして、カフェで読書。
6時からはサルして、帰宅。
というような感じです。
細かく書けばもっと書けますが、もういいでしょう?
つーか長々とすいません。
1週間も日記を書かないと、ダメですね、記憶も途切れ途切れだし、せっかくすべてが終わったのに、また嫌なこと思い出すようで…。
とにかくすべてが終わりましたし、上司も帰国しているので、月曜からは少し気分的に楽になると思います。
9月のJ-ASIAが終わったら、ちょっと旅行に出るのもアリかとふと思いました。
行くなら、
カンボジア→ラオス→ハノイ→ホーチミンのコース
か、
カンボジア→ラオス→雲南省→ホーチミンのコース
かと思います。
ちょっと楽しみなって来ました♪♪
ではまた。
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